鼎談 Part 1「COP26の(会議室での)失敗と(街頭での)成功」(チョムスキー×ぺティファー×バルファキス)

Screenshot © DiEM25 (Creative Commons, CC-BY)

92歳の知識人ノーム・チョムスキーと、グリーンニューディール研究の世界的第一人者ロバート・ポーリンが、気候危機解決の道を語った『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』。Fridays For Future Japanによる日本語版まえがき、そして飯田哲也・井上純一・宮台真司各氏による力強い推薦の言葉に後押しされつつ、ついに予約受付が始まった。本の完成を記念し、当ホームページでは12月をとおして特別コンテンツを無料公開していく。その第二弾として、今回はギリシャ国会議員のヤニス・バルファキスとイギリス経済学者のアン・ぺティファーを交えて2021年11月に行われた鼎談を4回にわたって掲載していく。


Part 1: COP26の(会議室での)失敗と(街頭での)成功

ヤニス・バルファキス 世界中のみなさん、こんばんは、こんにちは、そしておはようございます。DiEM25創始者のヤニス・バルファキスです。本日は2名の「札付き」の人物たち、DiEM25にとっても私個人にとっても大切な2人の友人にお越しいただきました。そのことを光栄に思うと共に、深い喜びを感じてもいます。一人目はアン・ぺティファーです。アン、君は今たしかロンドンにいるんだよね。

アン・ぺティファー そのとおり。

バルファキス アンはもちろん「札付き」の人物で、経済学産業の掟に反して経済学を合理的に啓蒙するために尽力し、金融部門に対する抵抗を続けてきた。イギリス労働党が反体制陣営を敷いたときにも党の後押しをした。それに、僕も個人的に何度か一緒に活動を展開したことがある。

 ノーム・チョムスキーはもはや紹介するまでもないだろう。あえて自分勝手な注釈を加えるとしたら、ノームの輝かしい経歴の一部には「DiEM25アドバイザー」という肩書きがある。ノーム、同席できて嬉しいよ。

 アンにもノームにも、もうずいぶん長いこと会えていないよね。今回のこのパンデミックは人間の暮らしにとって本当にひどい状況を作り出した。インターネットを介して2次元になっているとはいえ、今日こうしてお互いに顔をあわせることができて嬉しい。テーマはCOP26だ。気候変動という惨事が回避不可能になることを防ぐための(もしかしたら最後の)機会として、権力者たちはCOP26を「人類最大の好機」と呼んで宣伝した。それが惨憺たる結果に終わり、機会が見事に無駄にされ(とはいえ、本当はそもそも機会なんてなかったのかもしれないけど)、詐術が横行した。

 前置きはこれくらいにして、本題に入ろう。まずはノームに質問がある。今回のこの結果を君はどう見ているのかな。COP26に対する考えを聞かせてほしい。

ノーム・チョムスキー そうだね、たしかに不幸な結果に終わったけど、こうなることは最初から予想されてもいた。内容の分析にもそんなに時間はかからない。なぜって、そもそもあまり内容がなかったからだ。美辞麗句が飛び、耳当たりの良い約束が交わされ、「来年また集まって相談しなおそう」という結論が出た。それだけだ。そして、これは大方の予想どおりの結果だった。今回のこの会議は、すでに広く知られている教訓を今一度思い出させてくれた。つまり、社会が変わり、(権力者たちが使った言葉を拝借すると)人類が存続できるようになるための唯一の突破口は、大規模かつ組織的な民衆運動という対抗勢力だ。現にCOP26で一番重要な出来事は街頭で起こっていた。人類の希望もそこにある。希望の火を絶やさないためには、もっと多くの人たちがもっと積極的に運動に参加する必要がある。

 少しためらいを感じつつも、あえて引用したい言葉がある。儒教『論語』における「君子」の定義は私のお気に入りだ。君子とは「希望がないということを知っていてもなお闘い続ける人」のことを指す。私たちは今のところまだ君子の域には到達していない。希望が残っているからだ。でも、希望は日に日に失われている。まだ君子の高みにこそ至っていないが、かなりのところまで近づいているというわけだ。

 COP26の破綻という予想どおりの進展よりもはるかに不気味な出来事が世界では起こっている。世界史上最強の国家には、今回のこの危機を脱することができるか否かを決める大きな力があるわけだが、この国家は過激派気候変動否定政党に着々と乗っ取られている。アメリカは4年間全速力で奈落の底へと突き進んでいた。その後しばしブレーキがかかったが、また再び復活の勢いを見せている。次はもう後戻りできないようなところまで行くかもしれない。というのも、右翼(すなわち共和党および関連諸団体)のラディカルな運動のおかげで、アメリカではもはや選挙すら機能しなくなるような状態が醸成されてきているからだ。この人たちはこれを目標に全力を挙げており、もしかしたら成功を収めるかもしれない。そうなってしまえば、アメリカだけではなくて世界各国にさらなる重荷が課されてしまうだろう。もしヨーロッパがこの先もあくまでアメリカの権力の前にひれ伏し続けたならば、対抗勢力が出てくる余地もなくなってしまう。そもそもヨーロッパはアメリカに従属する必要がない。ヨーロッパには十分な資源と能力があるのだから、「世界の支配者」に従い続けるのを止めて、自立の道を歩むことだってできる。さもなければ、ヨーロッパの衰退もまた加速してしまうだろう。

 どれも深刻な問題だ。だからこそ、イギリスにおけるコービン運動はとても重要だった。真に民衆のためになる政党、すなわち労働者や一般の人々に奉仕するような政党になる機会を労働党に与えたからだ。君たちも知ってのとおり、この運動に対して(いわゆる「左派」と呼ばれている陣営を含め)体制側は大規模な活動を展開し、異端者が成功を収める前にその芽をむしり、労働党をいわばブレア期のネオ・サッチャリズムの党へ回帰させようとした。それはイギリスにとっても世界にとっても大きな打撃という他ないが、こうした反発は逐一乗り越えていくしかない。

 まとめると、COP26は失敗したが、街頭では人々が成功を収め、また教訓という面でもすでに周知のことが再確認された。希望もここにある。その担い手は主に若者たちだが、私やあなたの世代にとってこの事実は重い。世界中の若い人たちに対してこれほどの重責を負わせているという、信じられないことを私たちはしているからだ。若者たちは課題解決に果敢に挑んでいるが、最大限のサポートを必要としてもいる。グラスゴーの街頭で若い人々がしていることにこそ未来の希望がある。

バルファキス ところで、アンがどう思うかわからないけど、僕は今ノームが示してみせたジレンマを考えるにあたって「希望」と「楽観主義」を区別するようにしている。つまり、悲観主義という立場をとりつつ、希望を見失わないようにもしているんだ。君はどう思うかな。

ぺティファー そうだね…… まずはノームの結論に出てきた「グラスゴーの街頭の若者たち」から話を始めてみたい。この若者たちこそ希望なのだから。私は個人的にその場にいたわけではないけど、現場の人たちから聞いた話によると、今回のこの運動は「社会体制の変革」(システム・チェンジ)の必要性を声高に呼びかけている。この必要性を私たちの世代は十分に理解していなかった。私もまだ希望は持っているけど、同時にCOP26のこの顛末に激しい憤りを感じてもいる。

 憤りということで言えば、世界資本主義が用意した筋書きにあまりにもおとなしく従いすぎているという私たちのこの態度に対しても怒りを感じる。達成不可能な目標を設定して、目標ベースの議論だけに終始しているというこの有様にね。そもそも、目標とは遠くに存在する一つの数字にすぎない。社会体制の変革や政策について議論するのが本筋でしょう。でも、資本の側からすると目標だけに集中してもらっていた方が、都合が良い。「この数字は達成できそうか」という狭い範囲に閉じこもっていてほしいわけだ。社会体制の一新や政策の変更という範囲へ話を広げてもらっては困るというわけね。現に、私が知る限りCOP26では政策議論は一切なされなかった。

 ノームと同じように、私も絶望を感じている。なぜかと言えば、地球の気温に起こっていることを私たちはすでによくわかっているし、物理現象は空虚な言葉ではごまかせない。状況を改善するには内容を伴う変革が必要だけど、そのような変革は今のところまだ行われていない。

 他方で、歴史に目を向けると勇気が出てくるのも事実だ。過去には世界の経済体制がほぼ一夜にして完全に一新されたこともあった。例えば、今年は「ニクソン・ショック」の50周年だったね。ニクソン・ショックの真相は長い間公には語られてこなかった。経済学者たちはこの歴史的瞬間を堂々と無視するものだ。今年に入って、歴史家が(しかも共和党の歴史家が)筆をとって初めて歴史のこの一幕の全貌が明らかになった。1971年のとある週末、ニクソンはポール・ボルカーらと会って、当時の国際金融体制(すなわちブレトン・ウッズ体制)を全面的に解体する計略を練った。アメリカで大人気の西部劇が終わった後、日曜日の午後に彼らはこの決定を世界に向けて発信した。他の連携組織や同盟国とは一切相談せず、国際通貨基金(IMF)や世界銀行などの諸機関にも一切話をしなかった。連邦準備制度は関わっていたけど。とにかく、世界の金融体制の解体を一夜にして発表したわけだ。こうして、新たな体制では米ドルだけでなくアメリカの負債そのものが世界の準備通貨になった。

 要するに、右派はその気になれば体制変革をいとわないし、逆進的な形ではあったけど実際に体制変革を成し遂げもした。1932年から1933年にかけても、ルーズヴェルトは大統領就任式があった日の夜に、当時の世界金融体制(金本位制)の解体を決断した。これは歴史家のエリック・ローチウェイが詳しく実証している。そのときルーズヴェルトは側近たちに向けてこう言った。「諸銀行を閉鎖して、金をウォール街から運び出し、財務省まで持っていけ。これからは私たちが通貨の価値を決める。ウォール街に決定権を与えておいてはいけない」。

 ルーズヴェルトが諸銀行を閉鎖した理由について、経済学者たちはこれを銀行救済の一例として説明している。でもその真意は、諸銀行の金庫から金を没収し、これによって経済の舵取りをするための道具(為替相場、金利、国際的な資本フローなど)を管理する力を諸銀行から奪うことだった。この変革もまた一夜にして実行された。当時のアメリカは深刻な恐慌に見舞われていたから、ウォール街も出鼻をくじかれた。反応がなかったわけではないけど、決定を聞いた直後はただ呆然としていただけだった。

 思うに、過去にも世界経済は変革されたという事実に、私たちは希望を見出すべきだと思う。変革は不可能ではない。政治的意志があり、知的・思想的・政治的リーダーシップが必要だ。

 グリーンニューディールは最近「地域化(ローカリゼーション)」との比較という文脈で批判にさらされている。地域化はグリーンニューディールにとっても重要な要素だ。とはいえ、生態系を保護するためには、国際金融経済体制の変革が必要不可欠だ。この点を私たちは理解する必要がある。左派が国際金融体制に注目し、この体制こそが世界経済の支配者として君臨しているという事実と向き合い、まさにこの主題についてもっと学びを深めない限り、生態系の保護も達成できないと私は思う。地球環境を守るためには社会体制の変革が必要だ。

バルファキス 最後の一言に大賛成だ。

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原典:Visionary Realism: A Green Future Beyond Capitalism (DiEM25, CC-BY)