鼎談 Part 2「グリーンニューディールは何を解決する政策なのか」(チョムスキー×ぺティファー×バルファキス)

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93歳の知識人ノーム・チョムスキーと、グリーンニューディール研究の世界的第一人者ロバート・ポーリンが、気候危機解決の道を語った『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』。Fridays For Future Japanによる日本語版まえがき、そして飯田哲也・井上純一・宮台真司各氏による力強い推薦の言葉に後押しされつつ、ついに予約受付が始まった。本の完成を記念し、当ホームページでは12月をとおして特別コンテンツを無料公開していく。その第二弾として、今回はギリシャ国会議員のヤニス・バルファキスとイギリス経済学者のアン・ぺティファーを交えて2021年11月に行われた鼎談を4回にわたって掲載していく。


Part 2: グリーンニューディールは何を解決する政策なのか

バルファキス 良ければ、ここで二人の話へ僕からもいくつか付言をしておきたい。君が挙げた2つの実例は、どちらもそれ以前の資本主義からの画期的な断絶を意味する一大事だった。1933年にはルーズヴェルトが諸銀行を閉鎖し、以後その日(というより、その夜)は「お金がまわらなくなった夜」として記憶されるようになる。そして1971年8月15日はブレトン・ウッズ体制終焉の日だった。他方で、ルーズヴェルトの決断が進歩的なものだったのに対して、ニクソンの決断は不可避的なものだった。そもそも、ニクソンにはブレトン・ウッズ体制を維持するという選択肢がなかった。アメリカが黒字国家であることを前提に作られた体制だったからだ。1967年から1968年にかけて、アメリカは黒字国家ではなくなった。だから体制も解体を余儀なくされた。ところで、アメリカ人はドイツ人やヨーロッパ人とはちがって、たとえ自分が作った体制でも消費期限が迫ると躊躇なく破壊するのが得意だ。さきほどの2つの実例はいずれもトップダウンかつ抜本的な変革だ。かつて急進派の間で流行った言い方をするならば、体制を支配し統治する者たちは、ものごとが変わらないようにするために、折に触れてすべてを変える。つまり、変化を防ぐためにはすべてを変える必要があったというわけだ。

 ルーズヴェルトは左派の人間ではない。頭の切れる上流階級の人間で、資本主義を維持したければ体制全体を大きく変える必要があるということを理解していただけの話だ。同じことは1971年のニクソンについても言える。リンドン・B・ジョンソン大統領が続投していたならば、彼だって同じことをしただろう。彼らはみんな、赤字国家になってもなおアメリカの覇権を維持するためには、負債の量を増やした後でその負債を世界の基軸通貨の基盤とする必要性を悟った。これこそ米ドルの「法外な特権」だ。

 1933年でも1971年でも、地球の破壊を続けているこのシステムが自己を保存するためにあえて自らを痛めつけた。現代の私たちもまた、似たような大規模な変革を必要としているけれど、今回は体制側の利益を維持するのではなく、むしろそれに反するような変化が求められている。よって、1933年と1971年という2つの実例は、求められる変革の例として最善ではないと思う。

 もう少し話を続けさせてほしい。次の分析に対する君たちの意見に興味があるからだ。

 今私たちが直面している気候危機は、次の3つの問題を発端としている。第一に、よくあるフリーライダー問題が挙げられる。地球を救うための骨の折れる仕事は他の人たちに任せておけばよいという態度のことだ。他の人たちがそれをしてくれるなら、自分は何もせずに今までどおりの生活を続けられるようになる。もし他の人たちが行動を起こさないのであれば、わざわざ自分が他の奴らの分まで頑張る筋合いはない。フリーライダー問題を要約するとしたらこうなるが、これは集団で行動する際に必ず生じる問題だ。

 第二の問題として、連係の失敗が挙げられる。マシュー・カーニーは大規模な金融連合を代表してグラスゴーに赴き、こう言った。「ほら、130兆ドルをここに持ってきたぞ。使い道は世界のみなさんが決めなさい」。実際、資金はたしかに目の前に存在する。世界の金融機関にこれほどたくさんのカネがあふれたことは未だかつてない。しかし、このお金と、必要な科学技術と、人々のニーズ(すなわち人類と地球のニーズ)とをうまく連係させる方法が欠けている。

 第三に、資本主義そのものがある。周知のとおり、資本主義は3世紀前に始まったプロセスだ。万物を商品化し、共有財(コモンズ)を民有化し、価値はあるが値段がついていないものを貪りつくし、価値を値段に変換してそこから利益をあげる。コモンズを貪り始めた頃から、人類と自然界の搾取に際して社会的コストは無視されるようになり、ただ民間コストのみが課題として認識されるようになった。こうして資本主義という名の怪獣は暴れ続けてきた。

 グラスゴーで定められた目標についても一言付け加えておこう。二千何十年かまでに温室効果ガス排出量の「実質ゼロ」を達成するというあの目標だ。ここで言われている「実質ゼロ」とは、諸企業は民間コストが社会的コストを下回る間はずっと化石燃料を使って利益をあげてもよいという含意をもつ。つまり、地球をこれからも破壊し続けて良いという意味だ。諸企業による破壊行為のひどさを示す数字は明確に存在する。他方で、これは何らかの方法でいつかどこかで「相殺」(オフセット)されるらしいが、その具体的な仕組みもその成果を量的に評価する方法も存在しない。

 グリーンニューディールの実施は、地球を救うために絶対に欠かせない一歩だ。フリーライダー問題と連係の問題がこれによって解決される。ちょうど1933年にルーズヴェルトがしたように、余剰の通貨(すなわち富裕層の死蔵貯蓄)に着目し、1930年代のニューディール政策の公共事業局に相当する計画へとこれを有効活用すればよい。今回はこれを「緑の事業」を主軸に実践すればよいわけだ。こうして、グリーンニューディールはこの2つの問題を解決してくれる。あとはそれを権力者たちに実行させるだけだ。とはいえ、それでもなお資本主義という問題は未解決のまま残る。これを解決するためには、アンが指摘したように、体制そのものを見直す必要がある。所有権という概念を考え直す必要がある。

 僕からの話はこれくらいにしておこう。ノーム、考えを聞かせてほしい。

チョムスキー 君のその話は、要するに資本主義の発展を論じているわけだね。これはイギリスの囲い込み運動にまでさかのぼる話だ。そのとき、イギリスの人々はコモンズを奪われ、これが商品化され、それまで自立できていた農民たちは「賃金奴隷」にされてしまった。人々はこれに対して必死に抗戦した。19世紀アメリカにおいても話は同じだ。急進派の農民や労働者たちが、放逐を目論む勢力に対して必死で抗戦した。自由で自立した市民の権利を奪い、主人の支配下に置こうとする勢力に抵抗したわけだ。19世紀に台頭した労働運動の目標は、協力体制を敷き、労働者たちが互いに連係をとりつつ自分で自分の事業を所有し管理することだった。当時のアメリカは農業大国で、農民運動は「協同福祉社会」(cooperative commonwealth)と呼ばれるものの樹立に向けて動いていた。そこでは農民たちが北東の銀行家や融資管理者の支配から解放されるはずだった。代わりに農民たちが自らの手で銀行を立ち上げ、自分たちで協同管理体制を作って運営するという構想だ。このような統合計画が実現するまであと一歩のところまで行った。労働騎士団や急進派ポピュリズム運動などが例として挙げられる。もしこれが実現されていたならば、アメリカは今とはまったく異なる国になっていただろうし、世界も今とはまったく異なる場所になっていたはずだ。

 では、こうした運動を再び盛り上げていくことは可能だろうか。これこそ今の私たちにとっての課題だ。とはいえ、客観的事実として無視できないものもいくつか存在する。例えば、所要時間の問題だ。気候危機は緊急を要する問題であるため、基本的にこれは既存の体制の枠組みの中で解決していくしかない。もちろん、それは(君たちが鋭く論じてみせた)体制変革を諦めろという意味ではない。この2つの運動は並行して続けていくべきだ。とはいえ、現実問題として、やはり既存の枠組みの中で行動をとることで具体的な解決策を実行する必要はある。既存の諸機関にそうした行動をとるよう圧力をかけつつ、同時に体制そのものの変革を模索していけばよい。さきほど挙がった130兆ドルというお金も、それを不当に所有している人たちに対して十分な圧力がかかれば、公共の利益を目的とした使われ方がされるだろう。人々からの圧力を、権力者たちは「熊手を持って押し寄せる農民たち」と表現したりもする。より多くの農民を巻き込み、より鋭い熊手を用意しようではないか。

 こうした取り組みは、現時点ですでにそれなりの成果をあげてもいる。例えば、ダボスで「評判リスク」と呼ばれるものへの懸念が示されたからだ。そこでの議論はこういうものだった。「我々は評判リスクに注意を払う必要がある。農民たちがやってきて、我々からすべてを奪い去るかもしれない。そもそも我々の所有権はとても壊れやすいものなのだから。一度農民たちがそのことを悟り行動を起こしたならば、すべてが消えてなくなってしまう。十分な理解が広まってしまったら、農民たちが財や権力を奪還しに来るだろう。だから、我々はかつて<良識ある企業>と呼ばれた自己イメージを今一度打ち出していく必要がある。経営陣が公共の利益のために日夜休みなく激務をこなしている企業というイメージをね。それだけ人類の幸福に献身しているというわけだ。我々は良識ある企業なのだ」。以上のような考えは1950年代に出てきたものだが、最近また復活してきている。

 熊手を持った農民たちは、現状をしっかりと理解して然るべき圧力をかけていく必要がある。良識ある企業などというものは存在しない。企業とは富裕層と経営陣の短期的利益を至上命題とする組織だ。とはいえ、企業に然るべき行動をとらせつつ、企業がもつ所有権の不当性を広く認知させていくことは可能だ。そもそも企業の富は、本来企業のものではなく、あなたの富、私たちの富、すなわち人々の富なのだから。社会を再構築し、この富を企業から奪還し、数世紀もの間労働者や農民たちが思い描き続けてきた「福祉社会」の実現にそれを役立てようではないか。これは十分に実現が可能だ。同時に「不当な所有者たち」に圧力をかけ、不当に得た富を目前の危機を解決するために使わせていく必要もある。

 一筋縄ではいかない展望だが、不可能ではない。いずれも同時に全力で推し進めていく必要がある。「自由と正義を基調とする社会が実現されるまでは、緊急を要する対策も先延ばしにしよう」などという態度は許されない。前者の目標に向けて努力を続けつつ、後者のような対策も同時に実施すべきだ。それに、現実的な対策はすでに存在する。この事実は特筆に価する。GDPのほんの数パーセントを使うだけで目下の危機を解決できるような道がある。短期的にこうした対策を打つことで、長期的には社会体制全体を抜本的に変革するという課題にも取り組めるようになる。私たちが挑むべき課題は以上のようなものだ。

バルファキス アン、このテーマについての考えを聞かせてほしい。社会体制の変革については君も先ほど語っていたわけだけど、ノームの今の考察でもそのような変革の重要性が鋭く指摘されている。所有権や企業のあり方やエネルギー供給網を含め画期的な新体制のビジョンを、視聴者のためにも共有してくれるかな。

ぺティファー 言うまでもなく、グリーンニューディールこそ私のビジョンだ。世界金融体制を地域社会や国家社会の利益のために働かせ、民主的に責任追及ができるようにすること。要するに、今まで自由に国境をまたいでいた資本を「オンショア」すること、すなわち国家間の資本フローを管理して金融経済体制に民主的な責任追及の可能性を回復することが重要だ。それを実現するためには、資本主義を終わらせるしかない。この点は疑いようがないと私は思う。今のところ、資本主義は規制に基づく民主主義から遊離し、諸々のメタ経済的な条件のおかげで飽くなき肥大を続けている。

バルファキス たしかにそうかもしれないが、では所有権などについてはどう考えれば良いだろうか。例えば、フェイスブックは誰が所有すべきかな。

ぺティファー フェイスブックは公有化すべきでしょう。公益事業なのだから。同様に、水道や電力、エネルギーなどの事業も公有であるべきだ。人類の存続や社会体制の安定にとって重要な要素だからね。もちろん、民間事業にも役割はある。そもそも人類は5000年以上もの間市場と付き合ってきた。とはいえ、市場が社会を統治してしまってはいけない。社会こそが市場を統治し、共同体的なもの(コミューナルなもの)を生み出していくべきだ。しかしながら、これを実現するためには資本をオンショアする必要がある。遊離する金融市場を、地域社会や国家社会の利益のために働かせる必要があるわけだ。

 左派は400兆ドル規模の「影の銀行制度」を研究せずに無視してきた[訳注:おそらく「100兆ドル規模」の誤り]。このことを思うと、私は絶望してしまう。これは決して偶然ではない。そもそもこの制度は私たちの目を逃れつつ影で機能するように設計されたのだから。でも、私たちはそれに騙されてはいけない。むしろそれに対して挑戦状を突きつけていくべきだ。少し誇張を含むと言われるかもしれないけど、私の考えでは、みんな自分の身の回りの出来事に気をとられすぎている。視野狭窄だ。地域レベルでの出来事はもちろん大切だけど、国際レベルの体制にも目を向ける必要がある。ちょうどローザ・ルクセンブルグがしたようにね。「インターナショナル」はルクセンブルグの時代の社会主義運動にとって中心的なテーマだったけど、今ではもはやこれも忘れられている。

 まとめると、世界資本のオンショアこそが私のビジョンだ。そもそも貨幣制度とは、人々が自分たちのもつ可能性を実現する上で協力できるように作られた制度なはずだ。だから、それを管理するのも私たち自身であるべきでしょう。

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原典:Visionary Realism: A Green Future Beyond Capitalism (DiEM 25, CC-BY)