訳者あとがき Part 3「気候訴訟と新自由主義批判」

Illustration © Jared Rodriguez / Truthout

92歳の知識人ノーム・チョムスキーと、グリーンニューディール研究の世界的第一人者ロバート・ポーリンが、気候危機解決の道を語った『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』。Fridays For Future Japanによる日本語版まえがき、そして飯田哲也・井上純一・宮台真司各氏による力強い推薦の言葉に後押しされつつ、ついに予約受付が始まった。本の完成を記念し、当ホームページでは12月をとおして特別コンテンツを無料公開していく。今回はその第一弾として、訳者あとがきを4回にわたって掲載する。


Part 3: 気候訴訟と新自由主義批判

米ドルの覇権という国際政治のレベルから動物由来製品の消費という日常のレベルまで、『持続可能な開発レポート』を軸としつつグローバル・グリーンニューディールに関わりのある情報を駆け足で補足した。本書ではあまり触れられていないもう一つの重要なテーマとして、ここで『世界気候訴訟レポート』2020年版[1]を参照しつつ、気候変動に関する訴訟(通称「気候訴訟」)の現状にも目を向けてみよう。コロンビア大学ロースクールのサビン・センターが運営する「気候変動訴訟データベース」を元に作成されたこのレポートでは、気候訴訟は「気候変動の緩和、適応、そして科学に関する法律または事実の重要課題を取り上げた訴訟」と定義される。2020年現在、世界では1550件以上の気候訴訟が記録されており、このうち1200件以上はアメリカにおいて、残りの350件以上はその他の国々において争われた。2017年には全訴訟数が886件だったため、3年間で約75%の増加が見られたことになる。レポートの大半は訴訟例の列挙に費やされているが、これは世界各国の政府に向けて要求を行うときに、既存の法的枠組みの範囲内では何が現実的であるのかを考える上でも参考になる。

 気候訴訟が成立するためにはいくつかのハードルがある。第一に、そもそも訴訟が「司法判断適合性」(当事者適格と三権分立)を満たす必要がある。気候訴訟ではどちらの条件も判断が難しい。当事者適格に関しては、例えばアメリカで当事者適格条件を満たすためには、原告が損害を受けたという点、その損害が被告の行為によって引き起こされたという点、そしてかかる損害を緩和または補償するための具体的な賠償を命じる能力が裁判所にあるという点を示す必要がある。この3点を気候変動に関する訴訟で示すのは容易ではない。また三権分立に関しても、気候変動というそもそも国内法や国際協定の整備が遅れている分野では、立法府や行政府の管轄にある事柄に干渉せずに裁判所が賠償を命じられるかどうかを判断するのもなかなか難しい。仮に司法判断適合性が確立された場合、第二の条件として、原告側は被告が侵害したとされる気候変動関連の権利や義務の根拠を司法的に執行可能な形で示さなければならない。先述した1550件以上の訴訟のうち、1200件以上は気候変動関連の損害から公共主体または民間主体の利益を守る法律を適用するという形をとっている。制定法以外では、憲法や人権を根拠とする訴訟も存在するが、現時点でこれは全体のごく一部でしかない。慣習法(コモン・ロー)や不法行為理論に基づく訴訟も同様だ。すなわち、第二の条件が満たされるためには、そもそもこのような法律の整備が一定程度進んでいる必要がある。第三に、賠償請求の内容を明確化する必要があるが、ここでも気候変動に特有の困難が多く存在する。第四に、原告側が主張する損害の原因である気候変動が被告を要因としているということが示される必要がある。つまり、例えば山火事や洪水などによって原告が受けた損害の原因が気候変動であるという点が示されたとしても、被告がさらにこの気候変動を引き起こす要因となったという点を示す必要があるわけだ。この4つのハードルをクリアして初めて気候訴訟は成立する。

 気候訴訟成立のハードルの高さを確認したところで、次は原告側の勝訴となった判例をいくつか紹介したい。オランダの最高裁判所は、欧州人権条約第2条8項に従ってオランダ政府は個人の生命の権利と私生活および家族生活の権利を保障する義務があるため、摂氏1.5度以下という温暖化目標を達成するために排出量を削減するべきであるという判決を下した。ブラジルの裁判所は、アマゾンの熱帯雨林の保全のための基金である「アマゾン基金」の運用をブラジル政府は不適切に行っていたとし、これの運用やそれによって実施または一時停止した活動に関する情報を開示するよう政府に命じた。パキスタンの裁判所は、パキスタン政府を含む各当局に向けて、国有林の管理が国有林の保護と回復のための既存の法律に即しておらず、ずさんに行われているとし、同法律を「字義と精神の両面で適用し、森林の植林、保護、そして保全を行う」よう命じた。

 その他の興味深い訴訟の例として、化石燃料の利用拡大に関するものを2つ付記しておく。第一に、神戸の石炭火力発電を考える会は日本政府に対して、2基の火力発電所の評価書の確定通知の取り消しを求めた。原告側は、火力発電所の新設は日本の2030年および2050年の気候変動対策目標と矛盾し、また新規発電所の建設と稼動はきれいな空気、健全な環境、そして安定した気候への権利を侵害するものであるとしている。第二に、Fridays For Future Estoniaはエストニア政府に対して、新たなシェールオイル・プラントの建設の許可が、プラントの気候への影響、パリ協定へのエストニアの責任、そして欧州連合の気候緩和目標を十分に考慮せずに行われたとしている。どちらの訴訟も係争中だが、化石燃料の新たな利用を促進する事業を裁判によって阻止できるかどうかは気候活動にとって大きな問題であり、ここからもし気候変動対策にとって有利な先例が生じた場合はグリーンニューディールを進める上でも追い風となるだろう。

 『世界気候訴訟レポート』2020年版には、原告側が自然物に「自然の権利」を認めるよう政府に請求をして勝訴した判例も紹介されている。コロンビアの憲法裁判所は「憲法と自然環境との関係はダイナミックであり、常に進化し続けている」とし、自然界を「国家によって認められ、その法的代表者たち(例えばかかる自然界に居住したりこれと特別な関係にあったりする共同体たち)によって保護されるべき諸権利の実質的主体」として捉え、これに基づいて原告側の「アラト川の生態系の健全性を脅かす採鉱および伐採活動を政府は阻止すべきである」という要求を認めた。ニュージーランドでは、ワンガヌイ川とテ・ウレウェラ国立公園に個人の権利に相当する権利が法的に認められた。こうした権利の対象の拡張に関して、本書中でチョムスキーはビル・クリントン政権下で締結された北米自由貿易協定(NAFTA)がアメリカ企業に個人としての権利を認める一方でメキシコからの移民たちには同じ権利を認めていないという点を強調している。これに比べてニュージーランドにおける事例は、自然環境の保全と地元共同体の権利の保障を促進しているという点で、法的な個人という概念の拡張としては良好な傾向であると言えるだろう。

 『世界気候訴訟レポート』が指摘するように、裁判所が被告に気候変動を原因とする損害への金銭的な賠償を命じた判例は、2020年現在一件も存在しない。これはグローバル・グリーンニューディールを構想するにあたっても重要な事実だ。というのも、特に気候変動関連の法整備が進んでいない国々では、たとえグリーンニューディールを実施したとしても、政策の理念が実践の場で貫徹されるように裁判所が市民を支えてくれる保証がないからだ。本書でポーリンは、民間電力会社がIPCCの排出量削減目標を達成できなかった場合、CEOに禁固刑を科すべきだという提案を行っている。仮にこの提案が適切なものだったとしても、上述の議論からも明らかなように、具体的にこれを実施するために必要な法律の整備と執行には多くの困難が伴うことが予想される。気候正義を実現するためには、経済的な格差を是正するだけでなく、司法の場における格差の是正をする、すなわち気候変動を悪化させるような活動を行っている主体によって権利を侵害された人々がかかる主体を公正な裁判にかけることができるようにする必要がある。

グローバル・グリーンニューディールは世界各国の人々が市場における主体としてのみならず政治を民主的に動かす市民として協力することを目指す構想だ。社会で団結して一つの問題の解決に取り組むという意味で、これはマリアナ・マッツカートの言う「ミッション経済[2]」構想に近い。そのため、一方でこれは新自由主義に対抗する構想だが、大規模な財政出動によって再生可能エネルギーや電気自動車などの高度技術へ巨額の投資を行う政策であるという意味では、市場を使うことで社会問題の解決を図る新自由主義と親和性がある。本書で市場崇拝を「グラムシ的ヘゲモニー」「プロパガンダ」と表現するチョムスキーの批判をさらに具体的にするために、ここでは経済史家であり新自由主義研究の第一人者でもあるフィリップ・ミロウスキの仕事[3]を手掛かりに、新自由主義批判という文脈でグローバル・グリーンニューディールの課題を検討してみたい。

 ミロウスキによると、新自由主義の成立の歴史やその内容は広く誤解されている。特に左派の経済学者やマルクス主義者の中には、新自由主義を単なる市場原理主義または資本家が大衆に語り聞かせる単なる物語として理解する傾向があるとミロウスキは指摘する。実のところ、新自由主義は説得力をもつ多角的な思想運動であり、まさにそのおかげで着実に影響力を拡大することができた。この点を見て取るために、ミロウスキが展開する新自由主義解釈と批判に目を向けてみよう。

 ミロウスキによると、古典派経済学はアダム・スミスの頃から自然科学における諸々の数式を援用しつつ発展した[4]。新古典派はここに限界効用の概念を導入し、ワルラスの法則やパレート最適などの諸概念からなる一般均衡理論というミクロ経済学的な基礎をもつようになる。歴史的に俯瞰すると、経済学では一貫して自然現象を表象する数式が市場に援用されてきたため、市場と自然との間に一種の対応関係が構築され、市場への介入を自然への介入と等価に扱うアプローチが可能になったとミロウスキは指摘する。さて、新古典派経済学においては市場とは主体同士の取引の場という狭い理解がされていた。そこへ新自由主義は「市場はありとあらゆる人間よりも優れた情報処理装置である」という命題を導入し、市場の概念そのものを拡張した。これはフリードリッヒ・ハイエクが「社会における知識の利用」という古典的論文において社会主義批判の文脈で論証を試みた命題だが、ミロウスキはこの命題を新自由主義の中核をなす教義として位置づけている。こうして市場の概念そのものが拡張され、情報理論の隆盛も相俟って新古典派経済学は新自由主義的な方向へと発展していく。

 この歴史的文脈で、ミロウスキは新自由主義者たちの気候変動対策戦略を次のようにまとめている。まず、短期的には「懐疑の商人[5]」を雇って否定論を展開し、世論をかき乱して時間を稼ぐ。中期的には炭素税やキャップ・アンド・トレード(炭素上限取引制度)によって新たな市場を創設し、然るべき枠組みの中における市場取引によって環境への悪影響を緩和し、さらなる時間を稼ぐ。そして長期的には主に地球工学への投資を加速させることで起業家による技術開発を促進し、温室効果ガスの大量除去やエアロゾルの大量注入などによって一発逆転の問題解決をねらう。一見すると資本家階級が既得権益を守るためにでっち上げた単なるイデオロギーにも見えるかもしれないが、先述の「市場はありとあらゆる人間よりも優れた情報処理装置である」というテーゼを念頭に置けば理論的に首尾一貫したアプローチであることが判明するだろう。ミロウスキも指摘するとおり、気候危機対策としての社会レベルでの行動変容は、政治家や事業者などの指導者的な立場にある個人の裁量に委ねるよりも市場に委ねた方が成功する可能性が高いことを新自由主義の理論は示している。ただし、これがうまくいくかどうかは市場の設計のされ方にも拠る。用途に応じてコンピューターの設計やチューニングを変えていく感覚で、新自由主義的な為政者たちは気候変動対策という用途に最適な市場の設計やチューニングを進めている。また経済学における市場と自然との間の対応関係に関する歴史的経緯を考慮に入れると、温室効果ガス排出量削減などの地球環境への物質的介入を炭素の社会的コストの算出と適用という市場への政策的介入に置き換えて考えることをよしとする思考の理論的背景もはっきりするだろう。

 新自由主義思想における市民論も特筆に価する。これはミロウスキの指摘によると経済学者のジョージ・スティグラーの著作物に顕著に現れている。スティグラーによると、知識とは市場において各市民が最適なコストで各々の効用を最大化するために入手する商品だ。この説明によると、経済政策に関する正確な知識や情報を習得していく作業は、大多数の市民にとって費用(すなわち勉強に必要な時間や金銭)に対する効果が低すぎるため、合理的ではない。よって、市民は正確性とは別の価値基準(例えば確証バイアス[6]や社会的地位など)に従って知識や情報を得ていく。このため市民には責任ある政策立案をする能力はなく、またそのような能力を十分に高める動機も無い。よって、経済政策などの諸政策の立案・決定・実施は正確な知識と情報を習得する動機をもつ一部のエリートに任せるのが良いとスティグラーは主張した。(この考え方は現代においてもキャス・サンスティーン[7]などの行動経済学に引き継がれている)。ミロウスキのスティグラー解釈に基づくこの新自由主義的エリーティズムを考慮に入れると、気候危機という高度な専門知識を総動員しなければ解決できないような問題に対しては、真に民主的な意思決定によってではなく一部のエリートの判断に従って答えを出し、大衆は各々が信じたい物語を「アイデアの市場」で買って消費しつつエリートの指示に従っていれば良いのだという態度の合理性がわかるだろう。ソーシャルメディア全盛の現代においては、一般大衆のみならず一部の専門家までもがバーチャルな市場で自己を一種の商品のようにプロデュース[8]し、常に互いを評価し合い、そうした相互評価の市場力学によって淘汰された発言や人物が社会的影響力を獲得する。この注意力経済こそスティグラー的な新自由主義の「アイデアの市場」ビジョンの完成形の一つだと言える。

 ミロウスキを援用しつつ新自由主義思想の理論的・実践的一貫性を概観した。とはいえ、新自由主義はあくまで思想運動であり、気候危機への現実的な解決策ではない。例えば、スティグラーが言うエリートの「専門知識」の内容は「最低賃金の廃止」(生産性の低い労働者の解雇を防ぎ失業率を低く保つため)、「関税の撤廃」(資源の無駄遣いを防ぎ生活水準を高く保つため)、「高金利規制の撤廃」(高利融資への需要に対する供給を確保し効用を最大化するため)[9]等々、新自由主義流に料理された新古典派経済学の諸理論からは導出できるものの、現実世界においては市民にとって望ましくないものばかりだ。気候危機対策に関しても、本書でポーリンはノードハウスのDICEモデルから導かれる不条理で非現実的な結論を批判しているが、仮に中期的には市場ベースの解決策が時間稼ぎに成功したとしても、新自由主義的な筋書きどおりに将来世代が魔法の新技術を開発して諸々の気候変動事象を巻き戻す保証などどこにもない。むしろIPCCの第六次評価報告書WG1が示すとおり、南極の氷床の融解などの臨界点事象は、一度起こってしまえば数十年から数千年という単位で悪化を続ける可能性がきわめて高い。しかし、経済学の外部からのこうした批判は、新自由主義思想に代わる別の経済思想の必要性を切実に表現してはいるものの、それ自体としては経済思想ではない。新たな思想的基盤を構築して新自由主義を学問的かつ理論的に打倒するという課題は、気候危機の解決に寄与したいという思いを抱く経済学者たちにとって最重要の課題であると言って良いと思う。

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[1] United Nations Environment Programme [UNEP]. (2021). Global Climate Litigation Report: 2020 Status Review. Nairobi.

[2] Mazzucato, M. (2021). Mission Economy: A Moonshot Guide to Changing Capitalism. London: Allen Lane.

[3] Mirowski, P. (2013). Never Let a Serious Crisis Go to Waste: How Neoliberalism Survived the Financial Meltdown. London: Verso.

[4] Mirowski, P. (1989). More Heat Than Light: Economics as Social Physics. Cambridge: Cambridge University Press.

[5] Oreskes, N., & Conway, E. M. (2010). Merchants of Doubt: How a Handful of Scientists Obscured the Truth on Issues from Tobacco Smoke to Global Warming. New York: Bloomsbury.

[6] Tavris, C., & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (But Not by Me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Harcourt.

[7] Sunstein, C. R. (2020). Too Much Information: Understanding What You Don’t Want to Know. Cambridge: MIT Press.

[8] Gershon, I. (2011). Neoliberal Agency. Current Anthropology, 52(4), 537-555.

[9] Stigler, G. (1970). The Case, If Any, for Economic Literacy. The Journal of Economic Education, 1(2), 77-84.