93歳の知識人ノーム・チョムスキーと、グリーンニューディール研究の世界的第一人者ロバート・ポーリンが、気候危機解決の道を語った『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』。Fridays For Future Japanによる日本語版まえがき、そして飯田哲也・井上純一・宮台真司各氏による力強い推薦の言葉に後押しされつつ、ついに発売となった。本の完成を記念し、当ホームページでは12月をとおして特別コンテンツを無料公開していく。第三弾は、新刊作品からの抜粋シリーズをお届けする。
Part 4: 抽象概念は気候危機の解決には役立たない
ポリクロニュー(聞き手) エコ社会主義はヨーロッパを始め各国の緑の党のイデオロギーの重要な一部となりつつあります。これは緑の党が有権者の(特に若い有権者の)支持を拡大している理由でもあるかもしれません。エコ社会主義は、はたして政治構想として十分なまとまりを有しており、オルタナティヴな将来展望として真剣な検討に値するものでしょうか。
チョムスキー エコ社会主義についてそこまで深く知っているわけではないが、私の限られた知識の範囲内で言うと、これは他の左派社会主義の各派と重なる部分も多い思想だ。思うに、ある特定の「政治プロジェクト」への傾倒は、現在私たちが置かれている状況ではあまり役に立たない。まずは目の前の深刻な課題にすぐさま取り組むことが先だ。もちろん、課題解決への努力は私たちが望む社会の未来像を主軸として展開される必要がある。それは既述のように現在の社会の枠内で部分的に実現可能なものでもある。未来の社会構想を細部にわたって論じるのもけっこうなことだが、現状ではこうした議論は実践的な基盤にはなりえず、せいぜいアイデアを研ぎ澄ますための手段として働けば御の字だと思える。
資本主義には環境破壊を必然的に引き起こすような要素が含まれており、環境運動は資本主義の終焉を優先課題とすべきだという主張にもそれなりの根拠はある。ただし、この議論には一つ大きな問題がある―所要時間の問題だ。深刻な危機を回避するためには迅速な行動が必要とされており、そのためには国家規模や国際規模での政治参加が求められているわけだが、こうした行動をとるために残された時間の枠内では資本主義の解体は不可能だ。
さらに一歩進んで言うと、そもそもこの手の議論はある勘違いをしている。環境破壊という惨事の回避と、より自由かつ公正な民主主義社会の実現に向けての資本主義の解体とは、並行して進められる(そして進めるべき)活動だ。多くの人々がまとまってこうした活動を展開すれば、かなりの成果が期待できるだろう。具体例はすでにいくつか挙げたとおりだ。トニー・マゾッキによる労働連合の結成に向けての努力は、企業保有者主体の職場管理体制へ挑戦状を突きつけ、環境運動においても先駆的な役割を果たした。アメリカの主要産業部門の国有化=社会化を実行する機会も、逸機に終わったとはいえ存在した。私たちに残された時間は短い。私たちにはありとあらゆる領域において闘争を開始する責任があり、またそうする力もある。
ポリクロニュー(聞き手) ポーリンさんに質問です。エコ社会主義はグリーンニューディール構想と両立し得るものでしょうか。もしできない場合、「緑の未来」を実現するための闘争への大規模な政治参加を促すにあたって必要な政治的・イデオロギー的物語として他に候補となるものはありますか。
ポーリン レトリックや強調点の細かい違いはとりあえず脇に置くとして、根本的にはエコ社会主義もグリーンニューディールもやろうとしていることは同じだと思う。より詳しく言い換えると、すでに述べたとおり、気候安定化を実現しつつ同時に世界各国で優良雇用の機会を拡充し生活水準を引き上げられるような道はグリーンニューディールしかないというのが私の見解だ。そのため、グリーンニューディールは世界規模で緊縮経済政策に対抗しうる唯一の明確かつ現実的な代案でもある。緊縮経済政策への代案としてグリーンニューディールを推進することこそ、まさに私が同僚たちと一緒にスペインやプエルトリコやギリシャを含む多くの国々で取り組んできた問題だ。グリーンニューディールは格差の拡大を解消し、世界的新自由主義と近年台頭してきたネオファシズムを打倒しつつ気候安定化へと到達し得る唯一の方策だという、より広義な言い方をしても良いだろう。
グリーンニューディールの他に「エコ社会主義」という言葉が具体的に何を意味しているのか、私にはまったく見当がつかない。生産的資産の私的所有を全廃して公有化するという意味だろうか。すでにノームが示唆したように、このようなことが30年以内という気候安定化実現の制限時間内に実現可能だと本気で思う人はいるのだろうか。そもそも私的所有の全廃は、社会的正義、すなわち世界各国の労働者階級や貧困層の生活の向上にとって有用で望ましいことなのだろうか。世界のエネルギー資産はすでにそのほとんどが公有化されているが、この現実とはどう折合いをつけるつもりなのか。より正確に言うならば、完全な公有化体制へと移行すれば2050年までに排出量実質ゼロを達成できるとする自信の根拠は一体どこにあるのか。私の見解では、真に公平かつ民主的で、かつ地球環境を持続できるような社会の構築方法としてもっとも効果的な経路の模索こそが最重要課題だ。そのためには言葉のラベルを脇に置き、マルクス自身も言っていたようにありとあらゆるものごとを「冷徹に批判」すべきだ。そこには共産主義や社会主義が生んだ過去の経験の批判や、マルクス本人に対する批判も当然含まれる。いかにも、「私はマルクス主義者ではない」という言葉は、マルクスからの引用の中でも私が特に気に入っている一節だ。
本書の議論では気候危機以外の「惑星限界」(プラネタリー・バウンダリー)[1]、例えば空気や水の汚染や生物多様性の喪失などにはほとんど言及できなかった。エコ社会主義運動は、気候危機以外の重要な環境問題にも多くの力を注いできた。この点は認めよう。私もこの問題意識には全面的に賛同する。そして、こうした問題に対する意識を高める上でエコ社会主義運動が果たした役割を肯定する。本書で気候危機に焦点を絞ったのは、単にこれが最も緊急性の高い問題だったからだ。
訳注
[1] other “planetary boundaries” 2009年にストックホルム耐久性センター所長のヨハン・ロックストロームとオーストラリア国立大学化学研究家のウィル・シュテッフェンが中心となって提示した概念。地球環境において人間活動にとって欠かせない9つの領域を区分けし、各域の破壊の度合いが不可逆になってしまう点を「限界値」として設定した。気候危機はこの9つの領域のうちの一つにすぎない。参考文献:Johan Rockström, Will Steffen, et al., “Planetary Boundaries: Exploring the Safe Operating Space for Humanity,” Ecology and Society 14:2, 2009, 32.